千代子おばさん死去
2009年 11月 17日
今年は、本当に・・・・。
今度は、おばさんだ。まだ、享年69歳だった。
脳梗塞らしい。
一昨日の晩、少し具合が悪く、ダウン気味で、おじさんがベッドまで運んで寝させたらしい。
で、夜中の3時頃様子を見たら寝ている様子だったのが、朝になってもいっこうに起きてこないので起こしにいって異変に気づき、救急車を呼んだのだそうだ。
その夜の8時45分だったそう。
いとこの信ちゃんから携帯に電話があり、信ちゃんのおばさんがいけないのかとドキッとしたが、千代子おばさんだった。
千代子おばさんの家がある蕨は、私が大学に通うためにおばさんが家の近所に探してくれたアパートがあり、ここで2年間を過ごした。
私を頼って、友人も蕨の住民となり、彼女のアパートの真ん前にあるジャズのお店にふたりして入り浸った。生意気に未成年のくせに、ホワイトのボトルまで置いていた。
おばさんは、4畳半に半畳の台所、トイレは共有、道を挟んですぐに銭湯があるアパートを見つけて準備万端で待っていてくれた。カーテンを付けておいてくれたのだが、これが・・・。白地にヨーロッパ風のバラチックなお人形の柄のカーテンで、むしろ、どうみても若い女子の部屋でーすと宣言しているようで、趣味が悪かった。残念・・・。すぐに取り替えるわけにもいかず我慢した。大音量で、ジミ・ヘンの「星条旗〜」なんかを聴いていたんだけど、ジャズのお店で、真向かいの部屋の住人らしきお兄さんに、声をかけられてビビった。いつもジミヘン聴いてるよねって。変な人じゃなくって良かったんだけど。
アパートは木造で、1階が大家さん。きれい好きで、古い建物だったが、廊下はピカピカだった。
初めての一人暮らしで、贅沢は言えないし、贅沢は知らなかった。
ジャズのお店は、マッキントッシュの大きなスピーカーでいい音を聴かせてくれ、私の知らないいろいろなジャズを聴けた。お店を閉める前には、よく「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」サリナ・ジョーンズとかかかっていた。ここで出会ったジャズのナンバーは今でも好きなナンバーだ。
「まあ、イージーリズニングともいえなくないけどね」とマスターが言っていたエロール・ガーナー「コンサート・バイ・ザ・シー」やタバコの灰皿のジャケが印象的なウェス・モンゴメリーの「ア・デイ・インザ・ライフ」。ビッグバンドもサドメルとかがかっこよかった。
サックスのソニー・クリスが大好きになった。
彼の来日が決まり、厚生年金小ホールに友人を誘って行った。
彼は、来日直前、みずから命を絶っていた。知らずにホールに行った。
代演で、秋吉敏子と旦那さんのふたりが演奏した。ボーッとして何が何だかわからなかった。
おばさんは、戸田の競艇場で働いていて、さばさばした人だった。最近はリュウマチを悪くして、苦しんでいた。
子どもがふたり。
まだ、40なったかならないかじゃないかな? いや、もう、そこそこなのかな。でも、私の中のトモちゃんはまだ小学校上がっていないくらいの印象だ。
大学入試のときもおばさんの家から大学に受験に行った。カツのお弁当作ってくれたな。
ありがとうおばさん。ちゃんと、私は礼を言っていただろうか。
おばさんにとっては、大好きな姉ちゃんの娘だからって、良くしてくれたんだったね。
母は、まさか10も違う妹が先に逝くとは思っていなかったことだろう。
両親は病気もあるので、私と弟が葬儀に向かう。
親戚のおじさん、おばさんがこういうふうにして、ひとりまたひとりと減ってゆく。
仕方がないのだろうけど、さびしいな。
心からご冥福をお祈りします。
今度は、おばさんだ。まだ、享年69歳だった。
脳梗塞らしい。
一昨日の晩、少し具合が悪く、ダウン気味で、おじさんがベッドまで運んで寝させたらしい。
で、夜中の3時頃様子を見たら寝ている様子だったのが、朝になってもいっこうに起きてこないので起こしにいって異変に気づき、救急車を呼んだのだそうだ。
その夜の8時45分だったそう。
いとこの信ちゃんから携帯に電話があり、信ちゃんのおばさんがいけないのかとドキッとしたが、千代子おばさんだった。
千代子おばさんの家がある蕨は、私が大学に通うためにおばさんが家の近所に探してくれたアパートがあり、ここで2年間を過ごした。
私を頼って、友人も蕨の住民となり、彼女のアパートの真ん前にあるジャズのお店にふたりして入り浸った。生意気に未成年のくせに、ホワイトのボトルまで置いていた。
おばさんは、4畳半に半畳の台所、トイレは共有、道を挟んですぐに銭湯があるアパートを見つけて準備万端で待っていてくれた。カーテンを付けておいてくれたのだが、これが・・・。白地にヨーロッパ風のバラチックなお人形の柄のカーテンで、むしろ、どうみても若い女子の部屋でーすと宣言しているようで、趣味が悪かった。残念・・・。すぐに取り替えるわけにもいかず我慢した。大音量で、ジミ・ヘンの「星条旗〜」なんかを聴いていたんだけど、ジャズのお店で、真向かいの部屋の住人らしきお兄さんに、声をかけられてビビった。いつもジミヘン聴いてるよねって。変な人じゃなくって良かったんだけど。
アパートは木造で、1階が大家さん。きれい好きで、古い建物だったが、廊下はピカピカだった。
初めての一人暮らしで、贅沢は言えないし、贅沢は知らなかった。
ジャズのお店は、マッキントッシュの大きなスピーカーでいい音を聴かせてくれ、私の知らないいろいろなジャズを聴けた。お店を閉める前には、よく「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」サリナ・ジョーンズとかかかっていた。ここで出会ったジャズのナンバーは今でも好きなナンバーだ。
「まあ、イージーリズニングともいえなくないけどね」とマスターが言っていたエロール・ガーナー「コンサート・バイ・ザ・シー」やタバコの灰皿のジャケが印象的なウェス・モンゴメリーの「ア・デイ・インザ・ライフ」。ビッグバンドもサドメルとかがかっこよかった。
サックスのソニー・クリスが大好きになった。
彼の来日が決まり、厚生年金小ホールに友人を誘って行った。
彼は、来日直前、みずから命を絶っていた。知らずにホールに行った。
代演で、秋吉敏子と旦那さんのふたりが演奏した。ボーッとして何が何だかわからなかった。
おばさんは、戸田の競艇場で働いていて、さばさばした人だった。最近はリュウマチを悪くして、苦しんでいた。
子どもがふたり。
まだ、40なったかならないかじゃないかな? いや、もう、そこそこなのかな。でも、私の中のトモちゃんはまだ小学校上がっていないくらいの印象だ。
大学入試のときもおばさんの家から大学に受験に行った。カツのお弁当作ってくれたな。
ありがとうおばさん。ちゃんと、私は礼を言っていただろうか。
おばさんにとっては、大好きな姉ちゃんの娘だからって、良くしてくれたんだったね。
母は、まさか10も違う妹が先に逝くとは思っていなかったことだろう。
両親は病気もあるので、私と弟が葬儀に向かう。
親戚のおじさん、おばさんがこういうふうにして、ひとりまたひとりと減ってゆく。
仕方がないのだろうけど、さびしいな。
心からご冥福をお祈りします。
by shes_inn
| 2009-11-17 23:59
| 出来事