好奇心の発露


by shes_inn
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風評

虚構の経済において、その動きが“風評”で右往左往するとしたら、これはのっぴきならない事態だろう。どっちがどうかはわからないが、東証が取引停止とは・・・。
1社の粉飾決済疑惑で、世界の経済大国と歌われた国の株式取引ができなくなるというのは、情けないことでもある。日本の経済の世界は大丈夫なのか?

ところで、昨日はあの阪神大震災から11年の日だった。
あの日のことは、忘れられない。
もちろん、私は東京にいて、地震を体験したわけではないのだが、あの日のことは人生を変えたと思っている。
その日、息子を小学校に送り出し、8時過ぎにテレビをつけた。その頃の生活パターンは、7時に起床、まずはトイレ、そのあと、ガスにやかんをかけ(麦茶をわかす。麦の麦茶をわかすのは、息子が生まれてたぶん7か月くらいからほぼ毎日の日課だ。パックに入った水出しはダメ)、洗濯機を回し始める。新聞を一通り読んでいる間に息子も起きてきて、ご飯を食べて8時に出かける。
ちなみに当時の息子の日課は、起きてトイレ、玄関掃除をして(ゴミの日ならゴミを出しに行く)、ご飯を食べ、トイレで大、歯を磨いて顔を洗い、着替えて「行ってきます!」。ちなみに、寝る前には次の日の学校の準備はしてある。してはあるが、寝る前に準備をするときに、次の日に必要な時別なもの、家庭科のエプロンとかいろいろ・・・を思い出して大騒ぎすることも多々あった。宿題は忘れてもバックれていた模様・・・。
そんな普通の日だった。
私は、自分の目を疑った。その頃はNHKを見ていたので、というか、この日はたぶんどこのチャンネルもこの模様を映すしかなかっただろう。何が起きているのかわからなかった。
「神戸中心に地震」その頃はまだ確かな死者の数は一桁くらいだった気がする。でも、そんなわけないのはすぐにわかった。見ているうちにますます目を覆う光景が目に入ってくる。
会社には行かなくてはいけなくて、洗濯物も干さなければいけなかったけれど、止まってしまった。怖かった。ひたすら怖かった。テレビの中で、家々が燃えていた。でも、どこにも消防車は映っていない。テレビにその光景を映すヘリコプターが飛んでいても、消火をするヘリコプターはいない。いったいどうなっているんだ!
その時間まで気がつかずにいた私もとろいのだが、テレビは息子が出かけるまで見ない主義というか生活だったんだから仕方がない。

というわけで、本気のおんぼろアパート、6畳、4.5畳、台所、風呂、トイレという左右に部屋に囲まれた1階の真ん中の部屋で、玄関出ると目の前が崖のようになっていて、見上げると家が建っている、つまり、坂の下側にある建物で、地震がきたらおだぶつやむなしの物件に、タンスの下に親子3人が川の字で寝ている、そんな状況が一挙に怖くなった。
それから1年と3か月後、私たち家族は今のマンションに越した。
ただただ、大震災が怖くってね。
それまでは、ボロでも交通の便がよくて、日当たりもよく、安いし気に入っていたのだ。狭いけど庭もちょっとあって、チューリップを咲かせたり、草むしりしたりして、それもよかった。隣近所の人とも仲良かったし、たくさんの友達もそのボロアパートにはよく来てくれていた。「我が青春のみどり荘」だったのだ。家はぼろかったが、借金はなかった。
おかげで、ローンを背負い、今がある。

地震は、心配は今も心配だが、おかげでまだ東京は無事である。
でも、明日はどうだかわからない。
そのときはそのときだけど、やっぱそのときがあったら、みどり荘がどうなるか、気にはなるな。
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by shes_inn | 2006-01-18 23:30 | 出来事